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−前編−

 この夏、念願のワールドカップへ行って来ました。さっそく、現地からのレポートをお届けします。(1998/12)

ワールドカップへの想い

 ワールドカップへ行くのは長年の夢だった。そもそもサッカーを始めたのも1974年大会の決勝、西ドイツvsオランダを見たのがきっかけだ。野球しかしらない当時の自分にとってその試合の印象は鮮明で、それまでの価値観がひっくり返るほどの衝撃を受けた。それ以降、サッカーの、ワールドカップのとりこになってしまった。

 それ以後の大会は欠かさず見ているが、中でも最も印象的だったのは82年スペイン大会である。今や伝説の試合となっているブラジルvsイタリア、西ドイツvsフランス、他にも好ゲームが目白押しで、興奮して朝まで眠れない日々が続いたことを覚えている。次の86年メキシコ大会もマラドーナ、プラティニ、ジーコといったスーパースターの活躍で盛り上がったが、はっきりいってその次の90年イタリア大会、94年アメリカ大会はつまらなかった。とくに、アメリカ大会はスポーツを文化でなくビジネスとしか考えない大会で、その弊害が随所に現れていた。視聴率獲得のため、ヨーロッパのゴールデンタイムに合わせて炎天下に試合を組むようなことが平気で行われ、試合の質が低下した。

 そして、昨年、日本チームがついに念願のワールドカップ出場を決めた。ふたたびサッカーの本場で開催される今度の大会への期待はいやが上にも高まった。

 しかし、実はフランス行きなんて最初はどだい無理だと思っていた。会社を辞めてしまったので時間的な余裕はあったが、チケットを入手するのが至難の業、手に入ったとしてもため息が出るような値段だったからである。パックツアーは、値段も高いうえにほとんどが試合だけ観戦して帰ってくるような無理な日程だったので、そうそうにあきらめた。チケットだけを取り扱っているところもあったが、安い試合で4万円、日本戦および好カードになると7万円以上もした。試合会場へ行ってしまえばチケットは必ず手に入るという情報もあったが、手ぶらでフランスに行くのは勇気がいった。でも、インターネットを覗いてみると、個人旅行で行こうと考えている人も意外に多く、だんだん、なんとかなるんじゃないかという気持ちに変わっていった。

 そんな時である。日本サッカー協会から日本戦のチケット3000枚追加発売のニュースが入ったのは。抽選倍率を下回る枚数しかハガキを出さなかったのにもかかわらず、運良く2試合分のチケットが手に入った。燦然と輝くワールドカップのチケットを手に入れ、夢が一気に現実のものとなった。

 

6月12日 開幕、ブラジル2−1スコットランド

 いよいよ、開幕。テレビで開幕戦のブラジル対スコットランドを見る。開会セレモニーは意外とあっさり終わってしまう。ブラジルチームの調子がイマイチなのが気がかり。ホントに数日後にここへいくんだろうか。なんか不思議な感じがする。

 

6月14日 日本0−1アルゼンチン

 事務所のオープニングパーティーの後、残った人たちとともに日本vsアルゼンチンの試合を見る。善戦したが敗戦。でも、来週、生の試合がみれるかと思うとわくわくする。皆に本物のチケットを見せびらかし少し得意になる。事務所を構えていきなりワールドカップ見物とは。少々気が引けたが、もう完全に開き直っている。

 

6月16日 パリへ

 エールフランス276便でパリへ。料金は往復10万5千円。一流航空会社で直行便、なおかつワールドカップの期間中なのに安い。なんかそれだけでも得した気分になる。パリへの直行便は全て満席、周辺国へ入るしかないなんていう噂は真っ赤な嘘だった。日本戦のチケットも手に入ったし、航空券も直行便が取れたし、幸先の良さに気分は明るい。夕方、パリへ着いたが、大会期間中だというのに、街は意外に平静。この国で本当に世界最大のイベントが開かれているのだろうか。

 

6月18日 フランス4−0サウジアラビア

 今日は、地元フランスの第2戦、対サウジアラビア戦である。パリ近郊のフランススタジアムでの試合だったが、地元チームの試合を競技場で見るのはさすがに無理だと早々にあきらめる(あとで、そうでもないことがわかり後悔する)。そのかわり、市庁舎前広場の特設スクリーンで地元の人に混じって試合観戦することにした。30分ぐらい前から続々と人が集まり、試合開始時には広場は超満員の人で埋まる。フランススタジアムが大写しになると場内大歓声。ラ・マルセイーズの大合唱には身震いがした。

 試合はフランスチームの一方的な試合。フランスは技術も力強さも兼ね備えており、しかも地元の大声援を受けているので、サウジアラビアはなすすべがない。得点が入る度に発煙筒がたかれ、騒然とした雰囲気になる。しかし、もちろん地元の人がほとんどなので危険な感じはない。市庁舎の前だというのに、発煙筒がたかれても警備の警官も涼しい顔。結局、4−0でフランスが勝った。地元が勝ってよかったなと思ったが、アジアの代表が惨敗するのを目の前にしてなんか割り切れないものも感じていた。

 試合が終わると、熱狂的なサポーターはシャンゼリゼへ集結すると聞いていたので、早速そちらへ向かった。フランス国旗を掲げ箱乗りになったサポーター達が続々と集まってきた。車を降りてすぐに大騒ぎが始まる。シャンゼリゼの交通はすぐさまストップし、道路が巨大なお祝い広場と化した。大勢いる警官も群衆を遠巻きにして見ているだけ。トラブルが起きなければいちいち干渉しない。この辺は実におおらかというか。大人の対応である。

スタジアムが大写しになると大歓声があがる 

フランス、ゴールの瞬間 

シャンゼリゼに集まる群衆 

 

6月19日 ナイジェリア1−0ブルガリア

 ナイジェリアvsブルガリア戦を見るため、パリ市内にあるパルク=デ=プランススタジアムへと出向く。チケットはもちろんなし。でも会場周辺に行けば必ず手に入るという情報がすでに流れていた。ホテルで一緒になった村瀬さんと一緒に行く。地下鉄を降りると、スタジアムまでの道は既に人で溢れていた。最初はどの人がチケットを持っているのか見当がつかない。仕方がないので“I need a ticket”と書いた紙を持ってうろうろする。だんだん、要領がわかるようになって何人かの人と交渉をする。700F(16000円)〜1000F(23000円)といったところが相場で、あらかじめ聞いていた相場よりも高い。試合時間が近づくにつれ人がどんどん減ってきて焦る。

 試合開始も直前になって、500F(12000円)で売るという北アフリカ系とおぼしき青年に出会い、それで妥協することにした。警察の目の届かないところにはずれて現金とチケットを交換する。これって、違法行為なのだろうか?ダフ行為はもちろん日本では違法だが、こちらの警察はもめ事が起こらなければ見て見ぬ振りなので、違法なのか合法なのか良くわからない。チケットが余っている人がいて、売る人がいる。需要と供給の接点で値段が決まる。取引はお互いの問題なのでトラブルが起きなければ警察は介入しない。実に明解である。

 だいたい額面の10倍もの値段で売る正規の旅行代理店が合法で、試合会場の周辺でのダフ行為がなぜ違法になるのかがよくわからない。500F(12000円)というのは定価の2倍強。旅行代理店で買えば4万円はした。日本でチケット買わなくてよかった。ちゃんとすかしも入っているので、安心する。確かに本物のチケットだ。

 既に、試合前の国家斉唱が始まっているので、入口へと急ぐ。パルク=デ=プランススタジアムはテレビで見る限りなかなかいいスタジアムじゃないかと思っていたが、無骨な外観にがっかり。

 試合は、終始ナイジェリアが支配した。かれらは確かにうまくトリッキーなプレーも多く、楽しめる。だが、なにか物足りない。意外に周りが見えていないことに気づく。組織としての連係プレーが少なく、個人がただつないでいるという印象。この時点でナイジェリアの優勝はあり得ないと思った。一方のブルガリアは全く精彩を欠いた。それに、ストイチコフがボールを持つたびになぜか大ブーイング。彼はなんか悪いことでもしでかしたんだろうか。結局、ナイジェリアが虎の子の一点を守りきって勝ったが先行きに不安を感じさせる試合運びだった。

ちょっとがっかりのパルク=デ=プランス 

一体感はあるがやや閉鎖的な内部 

 

6月20日 日本0−1クロアチア

 いよいよ、今日はナントでの日本対クロアチア戦。僕は、全く国粋主義者ではなく、自国の応援一辺倒というわけではない。普段はJリーグよりもヨーロッパの試合の方を好んで見るくらいである。でも、やはり自国のチームの試合は外国同士の試合とはやはり全く別物である。朝、起きた瞬間から既に落ち着かない。

 ナント行きのTGVが出発するモンパルナス駅は既に青い人の波で埋まっていた。どこを見ても青い人の群れ。TGVはまるで青いユニフォームの貸し切り専用列車。ナント駅のホームも日本人でいっぱい。セルジオ越後が同じ電車に乗っていたらしく、すぐ横を歩いている。

 試合開始までまだだいぶ時間があるので、市内を少しぶらぶらした。ナントは特に有名な観光地ではないが、それでも日本の街に比べれば、街中が歴史的な遺産だらけである。でもフランス中が歴史遺産だらけなので、古い建物や教会や城に対してはもうすっかり免疫ができあがってしまっている。

 会場行きの市電乗り場は両チームのサポーターで既にごった返していた。クロアチアのサポーターは全く友好的で、青い浴衣を着た日本の若い女性が大人気だった。だいたい海外のサポーターにはラテン系を除いて女性は少ない。かわいい女性が目白押しの日本応援団は彼らにとってはうらやましい存在なのかもしれない。

 市電は、通勤電車(もちろん日本の)なみの大混雑。半分以上は日本人だが、その中でも数少ないクロアチアサポーターの気勢があがる。彼らはずっと歌いっぱなしである。その声の大きいこと。数は多くともおとなしい日本人に対してかれらの個人個人の馬力のすごいこと。なんかなんとなくやな予感がした。

 随分早めに到着したので、競技場の周りをブラブラし、試合開始前の雰囲気を楽しむことにした。予選のギスギスした雰囲気とは違い、人々にもなんとなく本大会の余裕が感じられる。顔にペインティングしてもらったり、おみやげを買ったりして時間をつぶす。日本チームの青いユニフォームも当然売っていると思ったが、甘かった。

 スタジアムはデザイン的にどうこうという感じではなかったが、こじんまりとして見やすく一体感のあるいいスタジアムだった。席はゴール斜め横の上段。日本応援団のどまんなかである。日本チームのウォームアップが始まると場内、大歓声につつまれ、何度も応援コールが起きる。

 いよいよ、両チームの国家斉唱に移る。この瞬間が国際試合のもっとも身震いする瞬間である。自分は世界でたった一つの国にしか属していない。好むと好まずとにかかわらず。君が代も別に好きではないが、自分たちは君が代を歌うしかないのである。この国家斉唱の瞬間が自分にとってのワールドカップが最高に盛り上がった瞬間であったと思う。

 試合は、予想通り善戦しそして予想通り惜敗した。勝ってもおかしくない内容だったとは思う。しかし、あの日のクロアチアならどうにか勝つためのシフトではなく、相手を圧倒するようなシフトを組む必要があったのではないか。チャンスはそうは訪れない。やれることはやれる時にとことんやっておくべきだった。スーケルが自分の目の前でトラップした瞬間、やられたと感じた。敗戦と同時にたった一試合で自分にとってのワールドカップは終わった。後は、試合見物と観光旅行が残されているだけだ。

仲良く写真を撮る両チームサポーター 

顔にペインティングをしてもらう日本人 

国籍不明の人達と写真を撮る(右から2番目が私) 

あこがれのボージョワールスタジアム 

日本人で埋まるゴール裏 

 

 

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